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ふと「第二芸術論」なんかをテキトーに考える。

「歌を見物していゐるだけの者が、どうかすると飛び入りする。さうしてとどのつまり相撲取りの玄人になつてしまふ。此が歌壇なのです。」

というのは、折口信夫が書いた「素人のない文学」の講演録の一文です(昭和二十二年の「短歌研究」八月号に採録されていて、それが折口信夫全集に入ってます)。

で、戦後に興った「第二芸術論」なんかも、案外、こうした歌壇の事情が背景にあったんだと思います。

でもね。
それって、問題ですか?

プロと素人との境目がはっきりしない芸術は芸術でない!

なんて言うのはもう古い感じがする。つまり「短歌」とか「俳句」なんかの「形式」には、戦後すぐにそうした批評が出て来てしまった、という「偶然」の産物なんだと思うのさ。

というのも(別の設問を立ててみるね)。

戦後の音楽教育の成功を証明しているのは、何だと思う?

僕は「カラオケ」だと思う。
はい。反論があるのは承知してます。多分「カラオケが流行したのは、音楽教育のためではなく、ラジオ・テレビ等のメディアが発信する音楽を、少年少女達が熱心に聞いていた結果です」ということでしょう。

でもね。
「「歌う」ってことは楽しいことなんだ」っていう意識
「「声を出すこと」は良いことなんだ」っていう感覚
ってのは、学校の中で「はい! 大きな声で歌って!」って(おそらく)言っていた音楽の先生達の地道な教育があったからなんだと思うのね。

つまり。
「歌う」という方法を自分のものとした人達は、歌うことを特別なことだと思わないんだと思う。

でさ。
スーザン・ボイルとか、ポール・ポッツとかが出てきた現代の「音楽界」については、「声楽は第二芸術だ」とか「音楽は素人のない芸術だ」とか言うだろうか?

言わないよね。当然。
そして現在は、プロを超えるような素人の歌い手もいれば、素人に負けちゃうような「プロ」もいるのが、日本の音楽業界の現状。

それは短詩型文学でも同じだよね。おそらくは戦後も現在も。

つまりは、短歌・俳句といった短詩型の文学にとってのプロ・アマの「境界」は、短詩型文学にとっての特別な問題だったんじゃなくて、全ての「芸術」にとっての本質的な問題だったんだろう。

恐らく「短詩型文学」は、特別な機材も訓練も不要だから、戦前・戦中・戦後を通じて、音楽や絵画・彫刻なんかよりも、先行して問題にされただけなんだろうと思うのさ。

多分そうした事情は了解しながらも、批判が出ればその「喧嘩」を買ってでてやる、っていう感覚は「同時代人」としての歌人達の論の背景にあったことなんだろうなぁ。


なんで今こんなこと書いてるんだろね?

まあ。ふと「おりてきた」んですよ。上記の内容が(笑。

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